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中野 慧 氏
なかの・けい|アグリコネクト株式会社コンサルティング事業部マネージャー。東京大学卒業後、2013年に野菜品種の育種・販売を行う みかど協和株式会社(当時)に入社。海外営業エリアセールスマネージャーとして、オセアニア・南米・北米の大規模農業法人との取引に携わる。2018年にアグリコネクト株式会社に参画。売上1~8億円の農業法人を集めた研究会を運営。また、個別の経営体支援として、経営理念の作成・組織づくり・生産性改善・財務管理等を行っている。
就農するにはいくら必要なのか?
私は農業専門の経営コンサルタントとして、多くの新規就農者の計画作成などをお手伝いしてきました。そうした就農希望のかたがたが一番不安を感じているのが、お金のことです。とくに、農業は初期投資が必要なので、一体いくら用意すればよいのか、借金をして返済できるのかなど、分からないことや不安はいくらでも出てきます。
本記事では、農業を始めたいと考える就農希望者のみなさまに向けて、お金の面での不安を少しでも取り除くため、押さえておくべきポイントや具体的な考え方を紹介していきます。
就農に向けたステップ
まずは、就農に向けた大まかなステップの中で、お金に関してどのようなことを考えておくべきかを確認しておきましょう。ステップ全体について詳しく知りたい方は、「農家の始め方ガイドブック03農業をはじめるまでの流れ」をご覧ください。
1. 県や市町の窓口に相談する
まずは地元の農業関係機関に相談しましょう。栃木県の窓口としては、とちぎ農業経営・就農支援センターのほか、各地域に農業振興事務所があります。こうした窓口には経験豊富な新規就農の相談担当者がいます。
就農希望の市町が決まっている場合は、その市町の役場にも相談に行きましょう。その市町独自の就農支援事業があるかもしれません。
なお、栃木県ではオンラインでの相談も受け付けているので、移住を伴う就農を考えている場合は、現地に行く前に一度オンラインで話をしておくとよいでしょう。
とちぎ農業経営・就農支援センター ワンストップ相談窓口
就農に関する基礎知識、就農へのステップなど幅広い相談に応じています。
公益財団法人 栃木県農業振興公社
〒320-0047 栃木県宇都宮市一の沢2-2-13
とちぎアグリプラザ内
TEL:028-648-9511(直通9515) FAX:028-648-9517
http://www.tochigi-agri.or.jp/index.html
▼相談事例やよくある質問
https://tochi-no.jp/article/detail/542
2. 収支をシミュレーションする
就農に向けて一歩を踏み出す決意ができたら、都道府県や市町村にあらためて具体的な相談をし、準備を始めます。
この段階で大事なのが、「必要な所得を確保できるか」を入念に検討しておくことです。
研修を受け始めてから収支面のことを考え始める新規就農者は多いですが、その場合、「こういう農業をしたい」と思っていたことが実際には実現困難だと就農直前になって知り、当初の方針を大幅に修正しなければならない……といった事態になりかねません。研修を受け始めた後に「やっぱり別の農業を目指そう」となると、ご自身が大変な思いをするだけでなく、研修先にも迷惑をかけることになります。
ぜひ、できるだけ早い段階で、大まかにでも構わないので収支計画を作成してみてください。本記事ではその方法を紹介します。
3. 研修を受ける
就農を成功させるための最も重要なステップとして、1年から2年くらいの研修を受けるのが一般的です。
研修期間中には、生産技術の習得はもちろんですが、本当に独立できるのかを検討するために経営面の基礎づくりを行うことが大事です。研修開始前に作成した事業計画を、研修での実践内容に基づいて更新していってください。
4. 認定新規就農者の申請をする
新規就農に際してさまざまなサポートを受けるには、「認定新規就農者」となることが必要です。就農時に新規就農者向けの補助金や融資を受けるには、研修終了までには、認定新規就農者となっておくことが必要です。
この申請のときには、「青年等就農計画」という5か年の営農計画を提出する必要があります。研修開始前に大まかにでも計画を立てたか、そして、研修中にそれをブラッシュアップできたかが、計画の質を大きく左右します。
必要な所得を見極める
以上のように、農業を始めるにはさまざまな段階で計画と向き合う必要があります。
ここからは、「2. 収支をシミュレーションする」のステップで実施したい、就農するにはいったいどのくらいのお金が必要なのか、そのお金をどのように調達するのかを説明していきます。
必要な手取り収入の見込みを立てる
最初にするべきことは、農業を通じてどのくらいの所得を確保する必要があるのかを見極めることです。
まずは、現在の生活にどのくらいの出費があるのかを計算してみてください。家計簿アプリで記録をつけていくと正確ですが、記録をつけていなくとも、一年間の手取り収入金額から、貯蓄などに回した金額を差し引けば、支出の金額がおおよそ把握できると思います。
そのうえで、今後数年間(最低でも5年以上)にわたってどのくらいの手取り収入が必要かを考えます。たとえばお子さんがいらっしゃるなら年々生活費が大きくなるでしょうし、進学などのタイミングでまとまったお金が必要になるかもしれません。そうした事情を加味して、毎年いくらくらいが必要かの見込みを立てます。
個人事業主にとっての収入・所得を理解する
さて、必要な手取り収入を考えるうえでは、個人事業主の収入と所得の考え方・計算方法を理解しておくことが大事です。
ここは少しややこしいところなので、一度軽く読んだら、内容がよく分からなくてもそのまま先に読み進めてください。後ほど出てくる具体的な例を見たうえで改めて読んでいただくと、理解が進むと思います。
個人事業主のお金の動きは、以下のようになります。
まず、農産物などの商品の売上や受け取った補助金などの金額を合計したものが収入となります。
ここから経費を差し引きますが、この経費というのはあくまで事業に使ったお金です。たとえば種や肥料の代金のような材料費や、仕事をしてくれた従業員に支払う給与(雇人費)、農機や自動車の燃料費など、事業(農業)をするために必要な出費が経費となります。一方、事業に直接かかわらない出費は経費となりません。たとえば食費や趣味のための出費などは、事業を行うためのものではないので、経費とはなりません。
収入から経費を差し引いたものが所得となります。
この所得からいくつかの所得控除(基礎控除、配偶者控除、生命保険料控除など)を差し引いたものが課税所得となり、この金額に応じて所得税がかかります。
個人事業主の手取り収入は、課税所得から所得税を差し引いたものに、基礎控除などの実際には出費が伴わない控除の金額を足し戻したもの、となります。
なお、収支のシミュレーションをするうえでこのあたりを忠実に再現すると煩雑になるため、本記事で紹介するフォーマットではそこを簡略化しています。
事業の財布とプライベートの財布を分けて考える
ややこしいと思われたかもしれませんが、さしあたり大事なのは、事業の所得と個人事業主の手取り収入は異なる、ということです。個人事業主になると、お金の出入りが事業の財布とプライベートの財布の2種類になる、ということを理解しておいてください。
お金の流れを比喩的に説明すると、以下のような感じです。
売上や補助金といった形で事業の財布に入金があります。一方で、経費という形で事業の財布からお金が出ていきます。毎年の入金額から経費としての出金額を差し引いたものが事業の所得となります。
この事業から生まれた所得から、所得税の支払いや借入の返済などをした金額が、プライベートの財布に入ります。生活費などは、このプライベートの財布から支払うことになります。
プライベートの出費も必ず考慮する
ところで、農業を始めると、必要な手取り収入額が小さくなる可能性が高いです。とくに就農が移住を伴う場合はなおさらです。
たとえば、就農して自分で野菜を栽培するのであれば、その分の食費が節約できます(細かい話にはなりますが、その分を「自家消費」として収入に含める必要はあります)。さらに、ご近所付き合いの中で野菜などをもらうことも少なくありません。
また、都会から移住する場合は、家賃も大幅に安くなるでしょう。都市部から地方に移住すると、半分の家賃で面積は二倍、といったことも珍しくありません。市町村の空き家バンクなどを活用して、よい物件を探してみてください。
ただし、地方移住に伴って自動車を新しく購入する場合は、その分の出費が必要になるので注意が必要です(なお、農業をするうえでは軽トラックを買う場合がほとんどでしょうが、こうした事業用の自動車は事業の財布から支払うことになります)。
上記の内容を踏まえて、今後数年間に必要な、プライベートの財布への入金額(手取り収入額)を見積りましょう。都市部で暮らす今は生活費が200万円かかっているけれど、移住して農業を始めれば家賃や食費が下がって、同じ生活水準でも生活費が年間150万円になりそうだ、といった計算をするわけです。収支のシミュレーションをするときに、この金額を最低限のラインとして設定します。
収支をシミュレーションする
事業計画を考えるときに一番難しいのが、どのくらいの規模の経営をするかを決めることです。規模が大きすぎると多額の資金調達をしなければなりませんし、経営を始めたら管理が大変です。一方で、規模が小さすぎるとその分売上も小さくなり、十分な収入が得られません。
そこで、先ほど計算した、必要な手取り収入額をもとに、その金額を確保するにはこのくらいの規模の経営をしなければならない、という経営のイメージを形づくっていきます。
経営指標を参考にする
そのときに大変参考になるのが、都道府県や市町村が提供する経営指標です。これは、その地域の営農のモデルとなる経営の売上や経費、初期投資といった情報をまとめたものです。もちろん、技術の有無や販路によって実際の数字は異なりますが、典型的な数値を知ることができるため、初期段階でシミュレーションするうえで大変参考になります。
ご自身が関心のある品目について、いろいろな情報源から指標を集めてみてください。
計画を立てる
さて、目標とする所得の金額と経営指標などのデータをもとに、収支計画を作成してみましょう。安定した収入が得られるまでの期間の計画を立てることが大事です。
就農直後は生産がうまくいったとしても売上が立つまでに時間がかかるため、その間の経費や生活費をカバーできるだけのお金が必要です。
このとき、事業の収支と個人の収支の両方をまとめて計画することをおすすめします。
個人事業として農業を行う場合の、事業と個人の収支を同時に管理するフォーマットのサンプルをダウンロードできるようにしているので、参考にしてみてください。
収支シミュレーションの例
栃木県の代表的な品目であるいちご、にら、アスパラガス、なしを例にシミュレーションしてみましょう。具体的なシミュレーション方法はこちらの記事をご覧ください。
資金調達の方法
さて、ここからは、必要な資金をどのように調達するかについて、とくに農業ならではの制度とあわせて簡単に紹介していきます。
なお、農業独自の補助や融資を受けるためには、「認定新規就農者」になることが条件となる場合がほとんどです。就農予定の市町や県の担当者に相談しながら、就農計画を作成してください。
就農準備資金・経営開始資金
就農にあたってもっとも魅力的なのが、就農準備資金および経営開始資金というものです。いずれも月額12.5万円(年額150万円)です。
就農準備資金
就農準備資金は、研修期間中の就農希望者に交付されます。主な条件は以下の通りです。
- 独立・自営就農、雇用就農又は親元就農を目指すこと(親元就農する場合は、就農後5年以内に経営継承又は独立・自営就農することを確約すること)
- 都道府県等が認めた研修機関等で概ね1年以上かつ概ね年間1,200時間以上研修を受けること
- 常勤の雇用契約を締結していないこと
- 原則、前年の世帯所得が600万円以下であること
- 研修中の怪我等に備えて傷害保険に加入すること
(引用元:農林水産省Webサイトhttps://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_syunou/attach/pdf/roudou-77.pdf)
また、前提として、就農予定時に49歳以下であること、就農後5年以内に認定新規就農者(もしくは認定農業者)になることが必要です。
上記の条件を満たすかどうか、一つひとつチェックしてください。
経営開始資金
経営開始資金は認定新規就農者として就農する場合に受けられるもので、以下のような条件があります。
- 独立・自営就農する認定新規就農者であること
- 経営開始5年後までに農業で生計が成り立つ実現可能な計画であること
- 経営を継承する場合、新規参入者と同等の経営リスク(新規作目の導入など)を負っていると市町村長に認められること
- 目標地図又は人・農地プランに位置付けられている、若しくは農地中間管理機構から農地を借り受けていること
- 原則、前年の世帯所得が600万円以下であること
(引用元:農林水産省Webサイトhttps://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_syunou/attach/pdf/roudou-77.pdf)
こちらも、独立就農時に49歳以下であることが必要です。
条件の2.および4.を満たさなければ認定新規就農者とは認められがたいため、実質的には認定新規就農者として認められることが最重要の条件と言えます。
認定新規就農者の審査は市町が行います。また、審査の時期や頻度は自治体によって異なります。市町の担当者とよく相談をしたうえで、計画の作成と申請を行ってください。
青年等就農資金
新規就農者が活用できる融資としてもっとも重要なのが、青年等就農資金です。これは、大まかに言えば、3,700万円まで無利子で借りられる融資です。
主な内容は以下の通りです。
- 対象者:認定新規就農者(使用できるのは経営開始してから5年以内)
- 貸付利率:無利子
- 借入限度額:3,700万円(特認限度額1億円)
- 償還期間(うち据置期間):17年以内(5年以内)
- 担保等:実質無担保・無保証人
- 取扱金融機関:日本政策金融公庫
(参考:農林水産省Webサイトhttps://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_kasituke/index2.html)
就農にあたって必要な初期投資や運転資金に広く使える融資です。
ただし、農地の購入資金にはできないので注意してください。
また、融資が行われるまで書類の提出から2か月程度かかる場合があるので、十分に前もって相談を始めることが大事です。
相談の窓口は都道府県・市町村・日本政策金融公庫など複数ありますが、まずは認定新規就農者となるための青年等就農計画作成について助言を受ける機関に、計画作成と同時に相談するとよいでしょう。
なお、無利子・無担保・無保証人という条件でも、融資は融資です。しっかりと返済をしていかなければなりません。また、審査にあたっては、計画の実現性が評価されることはもちろん、農業以外での借り入れの有無などが考慮されることもあるため、必ず融資を受けられるというわけではありません。
申し込みは、これらのことを踏まえたうえで、ご家族ともよく相談のうえ行ってください。
まとめ
以上、新規就農にあたってお金に関して押さえておくべきポイントを説明しました。農業は設備への投資額が大きくなりやすいですが、その分、新規就農者への補助や融資が充実しているため、ステップを踏んで進めていけば資金の確保はあまり難しくはありません。
そうは言っても、実際に検討を始めるとなると、さまざまな不安が生じるでしょう。着実に歩を進めるには、相談することが大事です。まずは就農希望地の県や市町村の窓口に相談してみてください。