事例紹介

50歳で農家に転身!第二の人生は約20年収穫可能なアスパラガスに挑む

地元の企業で50歳まで勤務し、子育てが一段落してから就農した坂本浩さん。助成金や支援制度を利用せず専業農家になった坂本さんは、2つの理由でアスパラガスの栽培を決めたといいます。研修生を受け入れ、就農10年目の現在は地域の中核的存在となった坂本さんに、今日に至るまでのポイントを聞きました。



INFORMATION

坂本 浩さん

さかもと・ひろしさん|栃木県宇都宮市出身。食品製造業を経て、50歳だった2013年に宇都宮市で就農。地域の田畑を引き受けながら栽培面積と売上を拡大。現在はアスパラガス31aと米3haを中心に、トウモロコシ15a、青パパイヤ7a、こまつなやはくさいなどで栽培面積約5a、売上約1,500万円に至る。妻と長男が農業に従事するほか、常勤1名+繁忙期数名の従業員を雇用し、「ヒロヒロファーム」の屋号で、JA出荷の他、直売所でも販売。農業研修生の受け入れも行なっている。


子どもたちが成長して一段落した50歳。一念発起して脱サラ就農!


就農以前の経歴について教えてください。


長年サラリーマンとして、食品製造業で加工の管理業務をしていました。もともと親が兼業農家だったんですが、私が28歳の時に父が亡くなり、農地を荒らすわけにはいかないので、会社で働きながら米を作り続けていました。

いずれは農業一本で生計を立てたいという思いはずっと持っていたので、40歳前後で脱サラできればよかったんですが、会社の都合もありそのまま勤めていました。


会社を退職して農家になると決意されたのは、どのような経緯があったのでしょうか?


50歳になり、改めて考えたら、ビニールハウスを建てるためにローンを組むにしても、もう年齢的にギリギリだと思ったんです。
ちょうどその頃に、周りの年配の方が離農されるのを目の当たりにして、自分がもう少し歳をとったときにうちの田畑をどうするのか考えるようになりました。

誰か他人にやってもらうのか、それとも自分ですべてやるのか。子育てもひと段落して家計の支出も減ってきたので、農業を専業で始めるなら今しかないと思いました。


就農するにあたって、どんなリサーチをしましたか?


地域の消防団に入っていたんですが、そこには農家がたくさんいたので、その方々にどうしたらいいか相談をしました。それからJAに行き、宇都宮市農業公社を紹介いただいたり、勉強会やセミナーがあることなどを教えていただきました。

消防団ではさまざまなつながりができて、とてもありがたかったですね。


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収穫期間の長さに加え、20年後の自分を見据えてアスパラガスを選んだ


50歳からの就農|アスパラガスに魅力を感じた理由とは

栽培品目にアスパラガスを選んだ理由は何だったんでしょう?


アスパラガスは一度定植するとその株から約20年収穫できることを知ったんです。当時50歳でしたから、70歳まで同じ株から収穫できるわけです。野菜は毎作定植をする品目がほとんどですが、アスパラガスは同じ株を長く使い続けるところに魅力を感じました。

もう一つは、自分が農業を頑張れる年齢が70歳までだとすると、自分の年齢が上がるにつれて、アスパラガスの株も樹齢を重ね、だんだん収量が減ってくるんです。自分の力が落ちてきた時に、それに合う形で仕事が続けられるというのも都合が良かったですね。


長く収穫できるだけでなく、仕事としても続けやすい作物だったんですね。


この地域にアスパラガスを作っている人がいなかったのも理由の一つです。アスパラというと「輸入物でしょう?」と言われることもありましたが、そこにチャンスを感じて、大変でも挑戦してみようと思いました。

新しいことやわからないことに取り組んでいくのは、面白いじゃないですか。


宇都宮市内の農家に通い、研修を受けながら栽培技術を習得


地域で誰も作っていないなか、どうやって栽培方法を学びましたか?


残りの農業人生を考えると、農業大学校に行って1年間勉強する時間はないと思いました。JAうつのみやの担当者に話を聞くと、宇都宮市内には50軒ほどアスパラを栽培している農家がいたんですね。会社を退職したのは50歳になった年の9月で、その年の12〜2月くらいまで市内のアスパラ農家で研修しました。毎日は行けませんでしたが、こまめに行って教えてもらったり、情報を聞いたりしながら少しずつやり方を覚えたんです。

農家さんたちが忙しくなる時期にはJAの方に指導していただきました。部会の皆さんに仲良くしていただいたことで、交流や情報交換もできました。


他にサポートしてくれた方はいましたか?


肥料メーカーの担当者からは、肥料以外の情報ももらいました。彼らは福島県や佐賀県といった各産地の農家さんを訪問するのでさまざまな栽培方法を知っていますし、農家さんを紹介してもらうことで視察にも伺うことができました。

情報は待っていても向こうから来ないので、それを得るためには電話もするし、直接訪問もします。出会った人がさらに別の人を紹介してくれたりして、どんどんつながりが広がっていきましたね。


就農前に不安はありましたか?


当時50歳で、早く定植しないと収穫も遅くなるので焦りましたね。翌年2月にはアスパラガス用のハウスを自分で建て始めていました。

アスパラガスがちゃんと出てくるのか、収穫してお金になるのかも不安でしたね。実際、就農後には眠れない日が続きましたが、貯金を取り崩しながら「あと1年なんとか頑張ろう」と踏ん張る毎日でした。


アスパラガス栽培については栃木県農業振興公社のワンストップ窓口へ


初期投資費用1,200万円は自己資金と融資でまかなった


事業計画の作成はスムーズにいきましたか?


アスパラガスと米は繁忙期が重ならないので、専業になった時に米を増やして行こうという考えで作成しました。すでにその組み合わせでやっている先輩方もいたので、参考にしましたね。でもそれだけだと売上が足りなかったので、他の野菜も栽培する形で収支を組みました。


農業を専業で始めるにあたり、初期費用はいくらぐらい必要でしたか?


初期投資として、ハウスに900万円、灌水(かんすい)用の井戸を掘った費用を含めると総額で1,200万円かかっています。

JAから500万円の融資を受け、残り700万円は貯蓄や退職金から捻出しました。自己資金がそれなりにあったとはいえ、この時期は厳しかったですね。


助成金などの支援制度は活用されなかったんでしょうか?


支援制度(現在の就農準備資金や経営開始資金)については、当時45歳(現在は49歳)までという条件があり、50歳の私は該当しませんでした。

一般的に就農される方は、支援制度を利用できる年齢の方がほとんどなので、「今さらその年で」とも言われました。でも、チャレンジしてみてもいいじゃないですか(笑)。


新規就農の助成金や支援制度については栃木県農業振興公社のワンストップ窓口へ


年間売上1,500万円!初年度は数千円だった売上が右肩上がりに増大


近隣の畑の管理を依頼されて農地面積も拡大。地域の中核的存在に

坂本さんの実家ではもともと米を栽培されていたそうですが、農地面積はどれぐらいだったのでしょうか?


親から受け継いだ農地が70aほどありました。その後も、周りの方からうちの田畑も使ってほしいというお声がけがだんだん増えてきたんです。いろんな作物を作るようになりましたが、引き受けられる規模までは広げたいと思っています。

農地に関しては、「認定新規就農者」になれるかどうかでその後の展開が違ってきます。認定新規就農者は地域の担い手として行政から農地を斡旋(あっせん)してもらえたり、助成金を受けられたりするので、新規就農を考えている人は押さえておく必要がありますね。


農園の年間スケジュールを教えてください。


アスパラガスについては、2〜3月に春芽を収穫、4〜5月に「立茎(りっけい)」という地上部の茎葉を伸ばす作業を経て、6〜9月下旬まで夏芽を収穫します。アスパラガスは収穫時期になると、畝(うね)に朝夕びっしり出ますから、そこが繁忙期になります。特に夏場は、茎葉が茂っているなか収穫するので手間取りますね。

米は3月から育苗をして5月に田植え、10月に収穫です。その間にトウモロコシの種をまき、収穫したりとできるだけ繁忙期が重ならないようにスケジュールを組んでいます。


農閑期は、早めのミニはくさいを収穫し終えた11〜12月。冬の間はアスパラガスの茎葉の片付けや翌年の準備もあります。それが終わると、春芽の収穫が始まるまでは比較的、時間に余裕が持てますね。


販路についてはどのようにされていますか?


アスパラガスは8割ほどJAに出荷しています。ほかには、スーパーなどの産直コーナー、JAの直売所などでも販売をしています。あとは近くの飲食店の方、栃木県が推奨する地産地消のお店でも使っていただいています。


コロナ前まで、イベントや直売所でアスパラガスを肉巻きや焼きそばにして販売したり、食べ方の提案をすることで、アスパラガスの販促活動を続けてきました。

おかげさまで最初は全然売れないところから始まったのが、今では置けば売れるようになりました。時には身銭を切って値段を下げ、手にとってもらう機会を増やしてきた結果なのでうれしいですね。


初年度から現在まで、売上の推移はいかがですか?


現在の売上は約1,500万円※。内訳はアスパラガスが1,000万円、米300万円、その他200万円です。最初の年はアスパラガスを2月に定植して、夏に少し収穫して直売所に持って行っただけなので、おそらく売上は数千円しかありませんでした。それが翌年には数百万円になったんです。売上は常に右肩上がりで、現在に至るまで下がったことはないですね。

※売上から必要経費(肥料や資材、光熱費など)を差し引いた額が農業所得になります

就農した当時は一般的にアスパラガスは収穫できるようになるまで3年かかるといわれていましたが、私は絶対収穫してやろうという意気込みで栽培を始めました。毎年新たな株を植える「とりっきり栽培」や伏せこみ栽培、露地栽培も含めてあらゆる方法を試しました。「普通はこういうことしないんだけどね」とよく言われました(笑)。


栽培面積自体も当初の20aから25aにして、現状31aと3段階で増やしました。今の面積まで6、7年で到達しましたね。うちでは今、グリーン、紫、ホワイト、ピンクの4種類のアスパラガスを栽培しています。ホワイトはグリーンのアスパラガスを、ピンクは紫のアスパラガスを遮光することで作ります。


今後は栽培面積を維持しながら、より高単価で売れる方法を模索

今後の目標について教えてください。


現在は資材高騰もあり、新たなハウスを立てるのは厳しいですから、アスパラガスの栽培面積は、現状維持で考えています。面積によって収量の上限は決まるので、今以上に売上を上げようとすると、単価を上げていくしかないんです。JA出荷と直売のバランスを変えるか、販路拡大するか、あるいは加工品を始めるかですね。

米に関しては、今後アスパラガスの収量が減っていく分、請け負う面積は徐々に増やしていくと思います。離農される方とマッチングがうまくいかない場合もありますが、米の栽培面積が増えればこれまでと同じように全体の売上も増やせると考えています。


お金の不安については栃木県農業振興公社のワンストップ窓口へ


50歳からの人生を豊かに。自分自身でコントロールできるのが農業の魅力


坂本さんは、研修生も積極的に受け入れられていますね。


50歳で脱サラ後に就農して少し落ち着いた、4年目から研修の受け入れを始めました。私が苦労したことを次の世代に伝えたかったのと、当時はアスパラガスの研修先が地域内に1カ所しかなかったんですよ。それでは担い手になる人の選択肢が減るなと思ったんですね。

これまでに7名の研修生が来ましたが、自分が持っている情報や技術は惜しまずに伝えてきました。現在は、長男も農園で一緒に働いており、研修生も1名受け入れています。


研修希望者へのアドバイスはありますか?


「大変です」の一言です。本当に思いを込めてやらないとできないし、いざ農地が見つかっても、設備にかかる費用は以前より高騰しています。
なるべく初期投資を少なくして、そこで得た利益をもとに設備や面積を増やしていく方法も、これからは考えていかなくてはいけないと思います。

たとえば栽培方法もビニールハウスのみにこだわらず、安価な雨よけハウスを組み合わせることも検討したらいいと思います。


独立するということはすべて自分で判断しなくてはいけないわけですが、それ自体が面白いじゃないですか。やるからには断念せず、チャレンジし続けてほしいですね。


最後に、農業を始めたいと考えている人にメッセージをお願いします。


農業には「自分がすべてをコントロールしたうえで作物を収穫できる」喜びがあります。愛情をかけるとそれだけ返ってくるのも魅力です。

アスパラガスは、土の中に株があるので丈夫ですが、それを長期間維持していくのはやっぱり簡単ではありません。でもなかには、25年も株を維持して栽培している方もいるんです。
いつまで収穫できるのかの限界は、まだ未知の世界ですよね。もしかしたらうちのアスパラガスも、私が80歳になるまで30年持つかもしれません(笑)。そういう意味では、まだまだ可能性は感じられますね。


さいごに

子育てが一段落し、第二の人生で農家になる選択をした坂本さん。自身の力で栽培方法や営農に関する情報をつかみ取るなど苦心しながらも、70歳までの人生設計にもゆとりが感じられます。就農から現在までを振り返りながら、農業の今についても熱く語っていただいたのが印象的でした。アスパラガスの栽培に魅力を感じた方は、ぜひ下の相談ボタンからご相談ください。


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