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中野 慧 氏
なかの・けい|アグリコネクト株式会社コンサルティング事業部マネージャー。東京大学卒業後、2013年に野菜品種の育種・販売を行う みかど協和株式会社(当時)に入社。海外営業エリアセールスマネージャーとして、オセアニア・南米・北米の大規模農業法人との取引に携わる。2018年にアグリコネクト株式会社に参画。売上1~8億円の農業法人を集めた研究会を運営。また、個別の経営体支援として、経営理念の作成・組織づくり・生産性改善・財務管理等を行っている。
就農希望の方が一番不安を感じているのが、お金のことです。とくに、農業は初期投資が必要なので、一体いくら用意すればよいのか、借金をして返済できるのかなど、分からないことや不安はいくらでも出てきます。
農業を始めると決めたら、収支計画を作成して必要な所得を確保できるかを検討しましょう。安定した収入が得られるまでの期間の計画を立てることで、お金の面での不安が解消できるかもしれません。
収支シミュレーションの例
さっそく、いくつかの品目について収支のシミュレーションをしてみましょう。
以下の数字は「「いちご王国・栃木」でいちご農家 始めませんか」および「とちぎで農業をはじめよう!」というガイドブックから引用しています。それらをもとに、経営開始時にどのくらいの金額が必要になるのかを読み解いていきましょう。
なお、ガイドブックにも注記があるように、各項目の金額は資材・材料価格の変動や仕入先・施工業者などによって大きく変わる可能性があります。就農にあたっては、かならず見積もりを取得するなどして、事前により具体的な金額を確認してください。
いちご
シミュレーションをするうえでは、
①収入
②経費
③投資や借入
④個人の収支
という順番で考えていくとよいです。
まずは、栃木県を代表する品目であるいちごから見ていきましょう。
収支シミュレーションの入力方法
パンフレット「いちご王国・栃木でいちご農家 始めませんか」2-3ページによると、いちごの場合は、面積20a、従事者2人(夫婦での就農)というモデルで、5年目の収入(粗収益)は17,500千円です。これに対し、経費(「経営費」の欄)が11,560千円かかり、差し引きして所得金額は5,940千円となっています。
こうした数字を、1年目から5年目までフォーマットに入力してみましょう。なお、この記事では事業の段階のところまでに絞り、行を減らして簡略化しています。
経費は「③減価償却費」(本パンフレットでは減価償却費と返済額が同じ金額と仮定)2,330千円とそれ以外(②)を分けて入力しています。
「④専従者給与」というのは、家族に対する給与です。今回は家族労働力のみを想定し、営農にかかわる事業主以外の全員を家族として、家族1人あたりの専従者給与を一律150万円としました(以下のほかの品目も同様)。パンフレットのいちごの指標は夫婦2人での農業の場合なので、専従者給与は1人分の150万円としています。
以下、「⑤青色申告特別控除」から順番に見ていきましょう。
青色申告特別控除については、ここで詳細の説明はしませんが、確定申告のときに「青色申告」という方法をとれば最大65万円が控除されます。
「⑥所得税・社会保険等」は、仮に所得金額の25%としています。
「⑦資産購入」については、パンフレットの「設備投資費用」が32,470千円なので、この金額を初年度に支払うとします。そのために借入が必要でしょうから、「⑧返済」の行の2年目以降に返済額を入力しています(パンフレットでは2年間据置で3年目からの返済としていますが、他の品目との比較のため返済はいずれの品目も2年目からとしました)。
「⑨事業主の手取り収入」は、専従者給与と同じく150万円としました。
念のため説明しておきますが、この金額は生活費として必要な最低水準にしています。実際には、下のほうで出てくる「⑫現預金増減額」の金額分は手取り収入を増加させることが可能です。
「⑩減価償却費足し戻し」の行には、経費の中の③減価償却費と同じ金額が入っています。
減価償却費というのは、「農機などの資産は毎年このくらい価値を減らしているだろう」という考えのもとで、その価値の減少分を経費として計上するものです。ですから、実際にお金が出ているわけではないので、その額はまだ事業のほうに残っているはずで、事業主の手取りや借入の返済、新たな設備への投資などの目的に使えます。そこで、この段階で足し戻しているわけです。
「⑪新規借入」としては、パンフレットの「固定資本」と同額の32,470千円を入れています。
こうした数字を入力していくと、その年に現金・預金がどのくらい増減するのかという「⑫現預金増減額」が分かります。
その金額と、事業を開始するときに元手として用意した金額(フォーマット中の「⑬初年度開始時の現金・預金」)が、毎年事業の財布に積みあがっていきます。それが一番下の「⑭現金・預金」の金額です。
なお、「⑬初年度開始時の現金・預金」は仮にどの品目も一律で300万円としています。
中項目 | 入力要領 |
①販売金額 | パンフレットから入力 |
②経営費(減価償却以外) | パンフレットから入力 |
③減価償却費 | パンフレットから入力 |
④専従者給与 | 家族に対する給与 |
⑤青色申告特別控除 | 確定申告のときに「青色申告」という方法をとれば最大65万円が控除される |
⑥所得税・社会保険等 | 所得金額の25%と仮定 |
⑦資産購入 | パンフレットの「設備投資費用」の金額 |
⑧返済 | 2年目以降、前年の減価償却費と同額を返済すると仮定(⑪新規借入の金額は⑦資産購入と同額と仮定) |
⑨事業主の手取り収入 | 専従者給与と同じく150万円と仮定 生活費として必要な最低水準として仮定。実際には⑫現預金増減額の金額分、手取り収入を増加させることが可能 |
⑩減価償却費足し戻し | 経費の③減価償却費と同額 |
⑪新規借入 | ⑦と同額 |
⑫現預金増減額 | その年に現金・預金が増減した金額 |
⑬初年度開始時の現金・預金 | 事業を開始するときに元手として用意した金額(仮に300万円とする) |
⑭現金・預金 | ⑫現預金増減額と⑬初年度開始時の現金・預金を積み上げたもので、その年度終了時に見込まれる現金・預金の額 |
数字がたくさん並んでいてややこしく見えるかもしれませんが、大事なのは一番下の「⑭現金・預金」の行です。
もしこの金額がマイナスになってしまったら、その時点で事業としてやっていけない、ということになります。
現実をふまえてシミュレーションしなおす
さて、上記のシミュレーションはパンフレットの数字をそのまま入力しましたが、実際の就農条件がパンフレットの通りになるとは限りません。
たとえば、一人で就農する場合は、経営規模を多少小さくするとか、繁忙期に雇用をするといった形になるでしょう。
また、次に紹介するにら以降のシミュレーションで用いるガイドブック「とちぎで農業をはじめよう!」には、ある程度経営が成熟した状態の指標が紹介されていますが、初年度から同じような水準の経営を実現するのは困難です。そこで、にら以降の品目では、販売金額が初年度は指標の50%、2年目は70%、3年目は90%、4年目以降は100%としてシミュレーションをしています。
このように、経営指標を参考にしつつ、売上や経費を自身の経営に沿って調整していくことで、収支計画をつくることができます。
今回は経費を減価償却費とそれ以外にだけ分けてごく大まかにしか計算していませんし、収入に関しては前回の記事で説明した補助金等を含めていません。
ぜひ、いろいろな指標を調べたり、詳しい人に相談したりして、より具体的なシミュレーションをしてみてください。
なお、栃木県を代表する農作物の一つであるいちごについては、栃木県のパンフレット「いちご王国・栃木でいちご農家 始めませんか」およびコラム「農業コンサルタントが教える いちごでの新規就農に向けた計画づくり」に詳しく説明があるので、ぜひご覧ください。
にら
にらも、栃木県を代表する野菜の一つです。農業用ハウスを使えば、初期投資はかかるものの、年間を通して収穫・販売することができるため経営が安定しやすいです。また、果実を育てる野菜ではないこと、ハウスという安定した環境であること、年に何度も収穫できることなどから、技術習得も早いです。
にらの収支シミュレーション
ガイドブックの指標をもとにすると以下のようになります。
中項目 | 入力要領 |
①販売金額 | ガイドブックから入力 |
②経営費(減価償却以外) | ガイドブックから入力 |
③減価償却費 | ガイドブックから入力 |
④専従者給与 | 家族に対する給与 |
⑤青色申告特別控除 | 確定申告のときに「青色申告」という方法をとれば最大65万円が控除される |
⑥所得税・社会保険等 | 所得金額の25%と仮定 |
⑦資産購入 | ガイドブックの「固定資産」の金額 |
⑧返済 | 2年目以降、前年の減価償却費と同額を返済すると仮定(⑪新規借入の金額は⑦資産購入と同額と仮定) |
⑨事業主の手取り収入 | 専従者給与と同じく150万円と仮定 生活費として必要な最低水準として仮定。実際には⑫現預金増減額の金額分、手取り収入を増加させることが可能 |
⑩減価償却費足し戻し | 経費の③減価償却費と同額 |
⑪新規借入 | ⑦と同額 |
⑫現預金増減額 | その年に現金・預金が増減した金額 |
⑬初年度開始時の現金・預金 | 事業を開始するときに元手として用意した金額(仮に300万円とする) |
⑭現金・預金 | ⑫現預金増減額と⑬初年度開始時の現金・預金を積み上げたもので、その年度終了時に見込まれる現金・預金の額 |
経営の前提としては、3人で経営面積80aです。①販売金額はいちごの場合のように4年目まで徐々に増え、4年目以降は指標通りの数字になるとしています。
いちごの場合と同様に、⑭現金・預金の値はマイナスになっていません。300万円の元手と初期投資の借入が可能であれば、手堅い品目と言えるでしょう。
借入・返済に注意
ただし、初期投資の額が大きい割には③減価償却費(および毎年の⑧返済額)が小さいことに注意をしてください。5,000万円借り入れて毎年260万円返すとすると、返済に20年近くかかることになります。
⑫現預金増減額に余裕があるため返済額を大きくすることはできますが、その場合は現金・預金の余裕が小さくなります。毎年の返済金額を大きくするのであれば、生産が安定しない可能性がある最初の数年は据置として返済を猶予してもらうほうが安全でしょう。
また、農業には青年等就農資金という無利子の融資制度がありますが、この借入上限額は基本的には3,700万円です。5,000万円の借入は困難かもしれないため、もう少し少人数・小規模での就農を検討したほうがよいかもしれません。
アスパラガス
つづいて、アスパラガスです。アスパラガスの生産量は全国的には横ばいですが、栃木県内では産地の努力により増えています。注目される品目であるアスパラガスについても、収支を見てみましょう。
アスパラガスの収支シミュレーション
まず、いちご・にらと同様のやり方で表を作成すると、以下のようになります。ただし、アスパラガスの収穫は2年目以降になるため、1年目の販売金額は0としています。
いちごやにらに比べると、1年目の売上がないこともあり、収益性が低くなっています。初期投資の金額とは別に、運転資金を800万円くらい用意するのが安全です。
リスクを低減させるには
ただし、他の品目でも同様ですが、アスパラガスのように農業では収益化に時間がかかる場合があるため、「経営開始資金」という年間最大150万円・最長3年の資金提供を受けられる可能性があります。こうした制度を利用すれば、より低いリスクで事業を開始できます。
また、繰り返しになりますが上記の数字はあくまで一例だということに注意をしてください。たとえば、私が見てきた中では、年間の面積あたり労働時間は、ガイドブックに記載されているよりももっと短い農家が多いのではないかと思います。
さらに、初年度には売上がありませんが、その分労働時間は短くなるため、他の品目との組み合わせることで売上を立てられます。そうした可能性も視野に入れながらシミュレーションを行ってみてください。
なし
最後に、収穫開始まで時間がかかる果樹のシミュレーションをしてみましょう。栃木県は全国有数のなしの産地です。なしは全国的に生産が減り、それに伴って単価が向上する傾向にあります。収益化に時間がかかるのが難点ですが、その分新規参入者が少ないため、よいスタートを切ることができれば大変魅力的です。
木の植え付けからスタートする場合のシミュレーション
まず、なしを植えるところから始める場合のシミュレーションは以下のようになります。収益化まで時間がかかるため、9年目までの数字を入れています。
売上(①販売金額)は4年目から立ち、9年目まで6年間をかけて指標と同じ水準まで向上するとしました。また、②減価償却費以外の経営費も収穫開始とともに増加していくようにしています。(厳密には、なしの木の減価償却は収穫開始後に始まりますが、ここでは減価償却費の内訳が分からないため1年目からの減価償却にしています。)
この指標を見ると、果樹での新規就農の難しさがよく分かります。ガイドブックでは250a(=2.5ha)という比較的規模の大きい経営を想定しているということもありますが、初期投資のほかに3,000万円以上を工面しなくてはならないのは、現実的ではありません。
しかし、これはあくまでなし単体の経営で、しかもなしの木を植えるという最初の段階から始めるとした場合のシミュレーションです。
他の品目と組み合わせる
まず、なし単体ではなく、収穫までの期間が短い野菜などの他の品目と組み合わせるという手があります。将来的にはなし一本に絞るとしても、最初の数年は作業量が少なく、他の事業を行う余裕は大いにあるため、もし植え付けから始めるのであれば初期の収入源として他の品目の生産を検討してみてください。
組み合わせる品目(果菜類等)は、作業があまりかぶらないものを選びましょう。
果樹とお客さんのターゲット層が近い場合は、組み合わせ品目で顧客(ファン)を獲得してから、なしの収穫が始まったらなしも併せて販売していくという形で相乗効果が期待できます。
収穫までの期間を短縮する
また、研修期間中に苗を植えておいて、独立して2~3年目から収穫できるようにするとか、もっと理想的なパターンとして、引退するなし農家さんから木ごと農園を引き継ぐといったことができれば、売上が立ち始めるまでの期間が短縮できるため、一気に収益性が向上します。
仮に、もともとなしが植わっている農地を借りるなり買うなりできたとしたら、初年度の収量が指標の6割、2年目が8割だったとしても、以下の表のように、初期から現金が残る経営を行う見込みが立ちます。また、農地を借りるとしたらその分賃借料が増えて運営費が増加しますが、初期投資の金額を大幅に抑えることができるため、必要な自己資金や借入の額が小さくなります。
なお、賃借の場合も購入の場合も「③減価償却費」「⑦資産購入」「⑪新規借入」などの数字が変わりますが、現金・預金の推移には影響があまりないためここでは変更していません。
果樹園を第三者継承し、就農初年度から750万円の売上を達成した先輩農家も
ほかの品目にも応用できる
ここまで、いちご・にら・アスパラガス・なしといった、比較的初期投資の額が大きく、また収益化のタイミングが異なる品目について、シミュレーションの仕方を説明してきました。
紹介したのはごく一部の品目だけですが、同じ手法で他の品目についてもシミュレーションができるので、ぜひご自身が検討する品目にて取り組んでみてください。