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菊池 太輔さん
きくち・だいすけさん|那須塩原市出身。地元農家の長男で、工業大学卒業後、埼玉県の自動車メーカー系列企業勤務を経て、2012年5月に就農。若手農家グループ那須塩原市4Hクラブの会長も務めた。2022年に父のいちご園と経営統合し、法人化。株式会社菊池いちご園代表取締役に就任。就農11年目となる現在は、いちご60a(「とちおとめ」40a、「なつおとめ」20a)、水稲150aを栽培する。従業員はパート3名と父母の5名、研修生2名。
東日本大震災を経て、雇用者でいることに不安を感じ、農業の大切さを実感!
メーカー勤務で現場改善や品質管理力を培う
整理整頓が行き届いた事務所が印象的だった菊池さん。就農までは何をされていましたか?
高校卒業後、興味のあった自動車関連の仕事に就きたいと思い、工業大学に進学して機械システム工学の勉強をしました。その後、埼玉県にある自動車メーカーの子会社に就職したんです。品質管理や研究開発といった仕事をしていくなかで、整理整頓や生産効率、危険予知、現場改善といったことを学びました。
特に品質管理は商品の最後の砦(とりで)。クオリティの維持については今の仕事にも活きていると思いますね。
農業は「とちぎのいちご」のブランド力が活かせる事業!夏いちごなら父のいちご園と補い合える
なぜ会社勤めから就農を目指したんでしょう?
サラリーマンとして5年働き、年収にも不満はありませんでしたが、その会社で経営者側になっても給料の相場は約1,000万円でした。土日休みとはいえ50歳になっても1,000万円かと思うと、ちょっと物足りなかったんです。当時はリーマンショックや東日本大震災もあり、世界が不安定な時代にサラリーマンでいることに漠然とした不安がありました。何か事業を起こして、自分で収入を得る方法を持たないといけないなと。
また、震災の時に、物やガソリンがなく、スーパーに行っても食べ物が手に入らない状況になったときに「これはまずい、生きていけなくなる」と思ったんです。
そう考えた時に、思い返せばうちの実家は農家だし、父は栃木ブランドのいちごをつくっていることから、農業への道を考えはじめました。ただ親の経営をそのまま引き継ぐことは全く意識になくて、実家に帰りつつも自分で作物を決めて起業できればと思いました。
そこから就農への道のり、特に作物選定はどうされましたか?
ちょうどその頃、栃木県が開発した夏いちご「なつおとめ」のことを知りました。夏場に収穫できるため、業務用でも高い需要が見込めるなと。新規就農する自分が「なつおとめ」をつくって、父はこれまでどおり「とちおとめ」をつくれば、年間を通していちごが出荷できるとも思いました。
でもインターネットで調べても、いちごの周年栽培をしている農家はほとんど見つからなかったんです。これは武器になるな、と感じたのが就農のきっかけです。
「脱サラ農業」をひたすらネット検索。プレゼン資料を用意して父を説得!
家を継がなくては、という思いもあったのですか?
両親からは「自分のやりたいことをやりなさい」と言われていましたが、将来的にはいつか戻るんだろうなと思っていました。
もし震災がなかったら、埼玉県で家を建てて今も埼玉県で暮らしていたかもしれません。震災の影響で、農産物が手に入りにくい経験をしたときに、農業の大切さが身にしみてわかったんです。農業はやっぱりなくしちゃいけないものだと思いましたし、たぶんDNA的にもずっと自分のなかにあったんでしょうね。
具体的にどう動かれましたか?
父には言いにくかったんですよ。大学まで出してもらって、サラリーマンとして20代半ばでそこそこの給料ももらっていましたから。それでまずは、インターネットで「脱サラ農業」をひたすら検索したんですけど、良くないことばかり書かれていた(笑)。農地の問題はどうにかなるとして、作物選定を間違えてはいけないことや、自己資金が300〜500万円必要だとか。そこで「なつおとめ」の情報も見つけたんです。
調べて考えがまとまったときに、父に打ち明けました。「リスクをとってでも始めようと思えたのは、いちごの周年栽培ができるからだ」「いつか父が引退しても夏いちごだけでもやっていけるようにする」とプレゼンをするようにストーリーを立てて説得しました。
お父さんはどう言われましたか?
最初は言葉に詰まっていましたね。会社の給料明細も見せていたし、いくらいちごでもそれほど利益が手元に残らないぞと。そこそこ安定しているのになぜわざわざ農業なんだと言うわけですよ。おそらく、そこで僕の意志を確かめていたんだと思います。
でも父も、自分が会社を辞めて帰るとなったら、周年出荷でもっといろんな展開ができるんじゃないかと考えたんでしょうね。その後の動きは早かったです。「なつおとめ」用の農地やハウスの準備、試験栽培まで勝手に始めていましたから(笑)。
お父さんはうれしかったんでしょうね。ではいざ戻るときには、もう道筋がついていたんですね
最初は漠然としていましたね。だから会社を辞めて戻ってきてからは、ひたすら県の農業振興事務所(那須農業振興事務所)と市役所に通いました。相談や手続きを進めながら、半年以上フリーターをしていたんです。
ちょうどその頃、埼玉県に住む妻と婚約したんですけど、先に自分だけ帰ってきて、一年後に妻を連れてきました。農業を始めるなか、結婚式もしてバタバタでしたね。
栃木県農業振興公社のワンストップ相談窓口に相談
銀行ローンで250万円のみ借り入れ。ハウスは自分たちで建ててスタート!
就農準備を進めるなか、不安なことはありましたか?
やっぱりお金ですね。いちごは親苗を植えてから収穫が始まるまで半年以上かかりますから。その間の生活費も事業資金も必要だし、多少貯金があったとしても全然足りないなと思いました。
父とは別経営なので、新規就農者として青年就農給付金(現農業次世代人材投資事業)を申請して、やめる方の土地をお借りし、銀行の融資を組んでビニールハウスを建てました。自分たちで建てたので、借入金は部材代(10a分)の250万円だけですね。
自分の場合、300〜500万円の自己資金はあったので余裕を持って準備を進めることができましたけど、もし貯金がなかったら生活費稼ぎのバイトをする必要があり、身動きがとれなかったと思います。自己資金がない場合は、補助金などの制度をうまく活用する必要がありますね。
青年等就農計画の作成はスムーズにいきましたか?
会社勤めで数字や書類作りには慣れていたので、特には困りませんでした。ただ計画書には書式があるので、自分で一通り書いてみて、農業振興事務所の担当の方にチェックしてもらいました。大事なのは計画書を通すことではなく、それを本気でやれるかどうか、ですね。
お金以外の問題はなかったですか?
妻とはだいぶケンカをしました。もともと同じ会社で働いていたので、土日祝日は一緒に過ごす暮らしをしていましたから。農家には休みがないことを理解してもらって、生活のリズムをつくるのは大変でした。
いちばん気になるお金のことを聞いてみる
栽培方法は父や本から。知りたい内容はピンポイントで聞く。その点を、自分で線にしていく!
栽培に必要な技術はどう習得されましたか?
父に聞くのがいちばん早いんですけど…、農家あるあるで、父も自分ではわかっていても学校の先生のように人に教えられないんです。だから、ひたすら本を探して調べましたね。専門書はもちろん、基本用語を知るために家庭菜園用の本も買い、勉強しました。
その上で、分からない箇所は父に聞きました。あとは父の代わりに「とちおとめ」の現地検討会などにも参加しましたね。自分がやるのは夏いちごですけど、いちごについても勉強しました。
「なつおとめ」は周囲では誰も作っていないし、どこに視察に行けばいいのかもわからない。2週間に一度くらいは農業振興事務所に通いましたね。栃木県が開発した品種なので、そこに行かないと情報が出てこないんですよ。繰り返し行ったのは不安の裏返しだったんでしょうね。皆さん、親切に教えてくださいました。
結果、夏いちごも栽培の基本は同じだということがわかりました。いちごに限らず農作物は、水と肥料を与えて光合成をさせて、葉っぱや実を収穫する。ただし、夏いちごは冷やすという、栽培管理をします。「冬に比べて夏は湿度が高いので、湿度を上げないようにしつつ温度を下げるにはどうすればいいのか」といった具合に自分で噛み砕いて考えながら栽培しないと、夏いちごの栽培は難しいと思います。
お父さんから学ぶにあたっての心構えなどありましたか?
漠然と「なつおとめってどうやったらなるの?」という質問はナンセンスじゃないですか。ですからあらかじめ勉強をして、線や面ではなく、点でピンポイントに聞く。それを自分でつないで線にしていくイメージですね。
今はスマホで検索すればたいていの情報は出てきますから。わからなかったらすぐに調べる。うちの研修生を見ていても思うんですが、常に自分で学ぶ姿勢がないと、独立してからが厳しいと思います。
栽培や経営を学ぶには?研修について相談
法人化して代表取締役に就任。経営の悩みは、日々父と相談しながら
流通ルートのない夏いちごは自ら販路を開拓
販路はどうされていますか?
「なつおとめ」は地元JAでの集荷がないため、自分で営業し、販路を開拓してきました。地域の洋菓子店が大きな割合を占めています。父の代から東京の展示会に出ていたので、つながった全国のバイヤーや卸売業者の方とも取引させていただいています。最近ではSNSで全国各地の洋菓子店から連絡をいただいたりもしますね。
「とちおとめ」は半分以上をJAに出荷しています。残りは直売所や洋菓子店などへ販売しています。那須塩原市のふるさと納税の返礼品にも使っていただいています。
販売方法や販売先の見つけ方は?
2022年に法人化。父のいちご園と経営統合
「とちおとめ」は今もお父さんが作られているんですよね?
昨年法人化して、自分が代表取締役になりました。その際に父も社員になり、これまで通り「とちおとめ」を生産しています。
父のいちご園も20年の歴史があったので、法人化にあたっては当初、父が社長になるべきだと思っていたんですが、対外面や、数年後に社長交代となると手続きの手間やお金もかかるので、どうせだったらここで代替わりを、となりました。自分としては、創業者である父に一度は社長の肩書をつけたかったんですけどね。
売上とその推移を教えてください
現在の売上は約3,000万円。法人としてのトータルは、一応右肩上がりなんですが、今年は少しマイナスか横ばいですね。品目別に見ると、「なつおとめ」は横ばい、「とちおとめ」はずっと右肩上がり、お米は右肩下がりです。
天候にもだいぶ左右されますね。猛暑と冷夏が2~3年おきにくるんです。今年(2023年)は猛暑との予想なので、暑さに弱い「なつおとめ」はかなりのマイナスになりそうです。
経営の課題はありますか?
人手不足がずっと続いています。いちごの売上は収量である程度決まるので、人員さえ確保できれば、伸びる要素はたくさんあるんですけどね。無理をすると、誰かが体を壊してしまいますから。先に人を増やして、それによって収量を増やしていきたいです。今の面積における売上も、最大値ではないと思っています。
人が増えれば、横ばいから多少上下する今の状態から抜け出せますし、なによりもっといろんなことができます。でも、誰でもいいわけではないと思っていて。やっぱり顔の見える人で、うちのいちご園で働きたいと思ってくれている人に来てほしいですね。
悩みを相談できる相手はいますか?
父とは日々ずっと経営の話をしていますね。口を開けば事業内容しか出てこないです。いちご以外の話を、たまにはしたいですけど(笑)。
でも父も、最初の頃は全然話を聞いてくれなかったんです。だから何かやろうとするときは、会社で上司に話すときのように計画と根拠を示した資料をつくって、プレゼンしていました。環境制御系のシステムに関しては、ほぼそのやり方で導入しました。
着実に事業を進められているように思いますが、不安なことはありますか?
もう不安しかないですね。いちごは15ヵ月栽培なので、今作の片付けをしてホッと一息つきながら、同時に来作の育苗のプレッシャーもあるわけです。気候変動もあり、うまく育つか心配で気が休まりません。
ただ、苗を植えたばかりのハウスで今後を考える楽しみもあるので、そこがモチベーションになっています。不安は大きいけど、だからこそ勉強しようと思うし、どうすればいいかを考えますね。
不安な点はワンストップ窓口で解消
農業は人が生きるために必要な仕事。覚悟さえあればできなくはない
「ちょうどいい」とちぎの暮らし
地元・栃木に戻っての暮らしはいかがですか?
自由な生活、というわけではないですけど、気持ち的にはのんびりしますね。都会にもまれず、仕事のプレッシャーやストレスもないですから。自然相手なので、大雨になればもうどうしようもないし、何かが起きた時に自分の事業に影響がないような準備もできると思うので。
妻も「ちょうどいい」って言っています。駅や高速ICも近いし、生活に不便はなく、住宅が隣り合わせで人の目を気にすることもないですからね。都会にいた頃は、この窮屈な環境で子育てはできないな、と思っていました。
時代に合わせて変化しながら1億円プレーヤーをめざす
農業をやってよかったと思うことはありますか?
会社にいて、パソコンや工業製品に向かっている時と違って、いろいろなことに興味がわきます。栽培方法だけでなく、天気や風の勉強もしますし、視野がものすごく広がりました。経営者としても、わからないことがあるとひたすら調べています。知らないことを知れるのは面白いし、わかったときの喜びも感じるようになりました。
今後の目標はどうですか?
県が掲げる農業者の「1億円プレイヤー」は、目標として常に頭にあります。でも作業が多岐にわたるいちごで1億円行くのは結構大変です。そのためには、面積も今の倍以上、人もそれに見合った数が必要ですね。
環境問題についても、考えなくてはいけなくなっています。いちごは化石燃料やビニール、プラスチックを使いますから。たとえばビニールハウスをガラスハウスにするなど、時代に合わせて変えていく必要がありますね。
これから農業を目指す方にメッセージをお願いします
一次産業は人間が生きていくために必要な仕事だと思います。そこを選んでやる覚悟さえあれば、できなくはないと思うんですよね。あとは自分が選んだからには、自分で足を運んで動いて、ちゃんと興味を持って取り組むこと。仕事に向き合う姿勢が大事だと思います。最初にやろうと思ったときの気持ちを忘れずに、頑張ってください。
さいごに
インタビュー中に繰り返し、勉強することの大切さと、仕事に向き合う姿勢について語ってくれた菊池さん。農家出身だから、親がいちごをやっていたからうまくいったのではなく、自身が成長を続けることで経営を軌道に乗せられたのでしょう。