事例紹介

新しい農ライフ「半農半X」実践者の暮らしとは?

近年、注目されている新しい生活スタイル「半農半X」。農業と他の仕事を組み合わせた働き方のことを指します。今回は、東京から足利市に移住し、半農半Xを実践している後藤芳枝さんにインタビュー。農業に興味がありつつも一歩を踏み出せない方必見! 「農業をやるなら、きちんと収入を得なければ」という固定概念を覆してくれます。



INFORMATION

後藤 芳枝 さん

ごとう よしえ さん|群馬県出身。進学を機に上京し、都内でさまざまな職を経験。2019年4月に足利市地域おこし協力隊に任用され、同市に移住。2022年4月より足利市集落支援員を務める傍ら、同市名草地区に農地を借りて麦やショウガを栽培する半農半X実践者。ワラなどの自然素材を用いて雑貨をつくるワークショップも開催。


半農半Xとは

「半農半X」(はんのうはんえっくす)とは、農業と他の仕事を組み合わせた働き方。農業を営みながら、自分のやりたいこと、やりがいのある仕事に携わるライフスタイルのことです。

 

近年、新型コロナウイルスの流行によって世の中全体のライフスタイルが大きく変化しています。農業の分野においても例外ではなく、リモートワークで本業をこなしつつ、空いた時間に農業に携わり、場合によっては副業収入を稼ぐといった新たなライフスタイルが少しずつ増えています。


どんな暮らし?

よくイメージされる「半農半X」とはひと味違う、後藤さんの暮らし


現在、足利市集落支援員を務めながら農地を借りて農作物を栽培しているそうですが、どのような日常を送っていますか?


集落支援員のミッションは集落の皆さんの声を聞き、地域課題を捉え、地域の活性化について取り組むことで、とても壮大です。
まずは集落で活動している皆さんの活動に参加する中で、空き家のこと、耕作放棄地のことなどの困りごとを聞いたり、と集落へ出て回ることが多いです。また地域と関わりたいという大学生の受け入れなども行なっています。

実は、集落支援員の業務には農業に関することも含まれているので、半農半Xといっても、私の場合はXの部分が農業と切り離されているわけではないんです。なので、皆さんが抱く「半農半X」のイメージとはちょっと違うかもしれません。


確かに「半農半X」というと、Xの部分は農業とは全く違う仕事をしていて、それで収入を得ている印象が強いですね。しかも、それぞれに取り掛かるときは、気持ちのスイッチを切り替えるようなイメージがあります。


それが一般的ですよね。私の場合は農とXが地続きなんです。それから、言葉が先行してしまって、収入や一日の過ごし方についても、半分が農業で半分がXでないといけないというイメージも強いかもしれません。

でも、実際には言葉に縛られる必要はなく、もっと気楽な感じで良いと思います。何かで収入を得ながら自分のできる範囲で農作物を育てていたら、それはもう立派な「半農半X」ではないかなと。

私の場合は、農業に関わる時間が多くを占めていますが、収入については集落支援員としての給与がメイン。このほか、農作物の販売とクラフトのワークショップの開催でほんのちょっと収入を得ています。


どんな作物を栽培していますか?


主に麦と米。それから、名草地区の伝統野菜であるショウガを栽培しています。

麦を栽培しようと思ったのは、遊べる要素がたくさんあると感じてワクワクしたから。小麦粉だったらみんなでうどんやピザを作ることができるし、副産物のワラではワラ細工を作ることもできる。もともと天然素材や手作りすることが好きだったこともあり、麦の栽培に飛びつきました(笑) 

それから、麦の栽培は稲作と違って水の管理が不要なのも大きな理由です。農業初心者には取り掛かりやすい品目だと思います。


畑では麦のほか、名草地区の伝統野菜であるショウガを栽培

収穫した農作物はどうしていますか?


麦は、製粉機を持っている知人のところで製粉し、自分で消費する以外に知り合いの焼き菓子店やパン屋さんに販売しています。ワラは主に、ヒンメリ(ヨーロッパの伝統装飾品)などのワラ細工の材料として活用しています。ワークショップではお子様から大人の方まで幅広くご参加いただいています。

お米はイベント等で販売しています。また、しめ縄用の古代米を栽培し、稲ワラでしめ縄作りワークショップも開催しました。

ショウガもイベントなどで販売しています。また、通常捨ててしまう生姜の葉は乾燥させて、市内のアート施設でスパイスティーとして飲むことができます。


麦や米の副産物であるワラを用いてオーナメントや雑貨をつくるワークショップを開催

この暮らしに行き着いた経緯

“消費する” から “つくる” 暮らしがしたくて


後藤さんは群馬県出身。2019年に足利市に移住する前は東京で暮らしていたそうですが、以前はどんな暮らしをしていたのでしょうか?


高校卒業後、服飾専門学校への進学を機に上京し、そのままずっと東京で暮らしていました。仕事は、衣装制作に携わったり、バンド活動しながら古本屋で働いたり。

それから、キッチンカーでお弁当の販売を経験後、事務職に転職。きっかけは、キッチンカーの中が暑くなる夏場に汗だくで仕事をしていた頃、買いに来てくれたオフィス勤めの方ががとても涼し気に見えて「いいな」と思ったこと(笑)

オフィス勤めをしたことがなかったので、やってみようかなと思って事務職に転職。これが自分に合っていたようで、足利市に移住するまで事務職を続けていました。


いろいろな職業を経験されているんですね。今の暮らしをするようになったきっかけは何だったのでしょうか?


東京で暮らしているうちに、ここでは必要なものをお金で買うことができて便利だけど、ただ消費するだけでつまらないなと感じるようになったんです。それで、「消費するよりも自分で何かを生み出したい」と思い始めました。

それから、私は群馬県出身で山のある景色が自分の原風景としてあって、やっぱり田舎暮らしがしたいという気持ちが芽生えてきました。あと、東日本大震災後、東京で生活することに恐怖心を覚えたことも理由の一つです。


そのような気持ちの変化が起きてから、実際にどんな行動をされたのでしょうか?


実家のある北関東を中心に、「移住」や「田舎暮らし」をキーワードにいろいろ調べました。それで、足利市で行われるコミュニティイベントを見つけ、実際に訪れてみることに。すると、イベントも、イベントの参加者もおもしろくて、足利っていいなって思ったんです。

そのイベントを通じて知り合った市の職員の方に移住してやりたいことについて聞かれ、「理想とする暮らしはあるけど、どうやって生計を立てていくか模索中。実際に移住してみないとわからないことも多い気がする」と胸の内を伝えたところ、「地域おこし協力隊」への応募を提案されました。

「足利市に移住して、地域活性化の活動をしながら自分ができることを見つけてみたら?」と勧められたんです。地域おこし協力隊って、もう自分の年齢では応募できないと思い込んでいたのですが、どうやらできるようで(笑) それも後押しとなって地域おこし協力隊に応募しました。


「地域おこし協力隊」が農業と関わるきっかけに


地域おこし協力隊では、どのような活動をされたのでしょうか?


自分と里山との関わりを通して地域の魅力を発信し、移住・定住の促進に貢献することをテーマに活動をしていました。

私はイベントを通じて名草地区のことを知り、その豊かな里山の環境と人の温かさに魅了されていたので、とにかくこの地で活動したいと思ったんです。この地域は過疎化が進んでいて、耕作放棄地も増えつつある。でも一方で、農業体験を積極的に行って関係人口を増やす取り組みもしているんです。

都会には私のように田舎暮らしに興味を持っている人が多いと思うので、私の里山での活動を発信することで、都会の人がこの地と接点を持つきっかけになる「つなぎ役」として貢献できればと考えました。

それから、名草地区の暮らしに深く根付いているのは農業とあって、何かを生み出したい、自分の手で作りたいと思っていた私にとって農業は興味あることの一つだったので、それを軸に活動を始めました。


理想とする里山暮らしが実現できる名草地区と出合い、そこでの生活には農業が深く関わっていたことで、農ある暮らしが始まったんですね。


そうですね。だから、「農業がやりたい!」が一番ではないんです。名草地区での暮らしの中に農業があるのでやってみようという気持ちでした。

ただ、農業に興味はありましたが、知識もスキルもまったくなし。なので、最初の1年間は農家さんや集落営農組合、里山保全の方々など名草地区で活動する方たちのお手伝いをさせてもらい、農業や里山暮らしに必要なことを身につけていきました。


2年目には、お手伝いではなく「自分でやってみる」ということをしたいと思いました。
里山暮らしに興味を持つ人の多くは、土いじりをやりたいと思っている人が多いです。そんな人達のきっかけ作りの農業体験の場になるといいなと思い自らの畑を借りました。農業のプロから言うと『農業』というより『ちょっと農業風』そんな感じですかね。私のそんな『半農半X』です。

とはいえ、自分でできることは本当に限られているので、北関東の方言で「少し」を意味する「ちっとんべー」という言葉にちなんで畑に「ちっとファーム」と名付けました。大きくはやらない。“ちっとんべーやる“という宣言です(笑)

農業体験は、地域の方々の協力のおかげで実現しました。活動をしていくうちにもっと農業を続けたくなり、地域おこし協力隊を卒業した後も別の畑を借りて農業を続けています。もちろん名前は「ちっとファーム」です(笑)



理想とのギャップ、移住して驚いたこと

ひとりでは難しい。地域の人の協力があるからこそ成り立つ生活

名草地区で活動を始めたときに驚いたことや、思い描いていた理想とのギャップを感じたことはありますか。


移住前は、なんでも自分の手でやりたいと思っていましたが、実際はそれが難しいということを実感しました。小さな畑であっても、やっぱり耕運機があると便利ですし。

里山での活動は思っていた以上にやることが多く、それらを全部自分の手で行うのは大変。ひとりではやっていけないということも身に染みています。

地域の人の協力のおかげで成り立っている部分が大きいですね。


取材中、地域の人がふらりと来て収穫したばかりの白菜と大根をおすそ分けする一コマも

驚いたことは、地域の人たちの生きる力の強さ。いろいろな生活の知恵と技を持っているんですね。困りごとがあったらすぐに行動して手早く対処する姿がたくましくて、尊敬しています。

それから、元日から地域のみなさんで集まる風習があることにも驚きました(笑) 人との関わりが密接なんですね。東京に住んでいたころは地域の人たちとの関りはあまりなかったので、名草に移住して地域の人と密接に関わる生活がとても新鮮で、すごく濃い時間を過ごせています。


現在の暮らしで気に入っているところ

自分で作れること、お金ではないやりとりができること


里山での活動を始めて4年目を迎えた今、この暮らしのどんなところが気に入っていますか?


東京で暮らしていた頃はお金を出して買っていたものを、今では自分で作ることができること。しかも、素材そのものを自分の手で生み出すことができることに喜びを感じています。

例えばしめ縄。私は名草に来るまでは毎年お金を出して購入していました。でも、ここでは自分でワラを用意し、しめ縄を作ることができる。素材も自分や地域の方が育てたものなので愛着もひとしおです。今年のしめ縄は、飾りのナンテン、マツも含めて、すべて名草のもので作りました。

それから地域の人がみなさん温かく、協力し合いながら生活できていることがとても楽しいですね。ちょっとした困りごとから助け合いの輪が広がり、いつのまにか誰かと誰かがつながって、新しい取り組みが生まれたり。きれい事かもしれませんが、お金ではないそういうやりとりができるところが気に入っています。


これからのこと

名草での活動で芽生えた使命感「里山の景観を守りたい」


今後やってみたいことは何かありますか?


今借りている畑を農作物の生産の場に特化するのではなく、この里山の自然を満喫できる楽しい場にしたいと思っています。ふらりと来てくつろげるようにベンチを置いたり、すぐそばにある山を登れるように整備したり。

地域おこし協力隊の活動を通して、この辺りは耕作放棄地が増えていることを知り、このままでは農地が転用されて里山の環境や景色が変わってしまうのではと危機感を持ったんです。新しい視点を交えて耕作放棄地を活用し、もっと人が名草の魅力を体感できる機会をつくりながら、少しでも里山の景観を守っていきたいと思います。


“ちっとファーム”な暮らしを知ってもらい、もっと身近に農業を


それから、私の里山での半農半Xという生き方もあることを知ってもらえたら嬉しいですね。農業をやるなら専業または兼業農家として生業にしなければいけないというイメージが強く、興味はあってもなかなか一歩を踏み出せない人が多いのではないかと思います。

実際はそんなことはなく、別の仕事を持ちながら、自分が食べる分だけの農作物をつくるという農ある暮らしが可能なので、実現して充実した生活を送っていただけたらと思います。


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